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 Foca Oplar 2.8cm f6.3
 

Lens Data

Lens Unit

Lens Photo

製造メーカー:ルヴァロア光学精機社(O.P.L.)
製造番号:10454
製造年:1929年
レンズ構成:2群6枚 ダブル・アナスティグマット(ダゴール)型
最小絞り値:16
絞り枚数:8枚
最短距離:約1m
重量:約90g
マウント:ソニーαマウントに加工

Lens Impression

1919年フランス、パリ郊外のルヴァロワ=ペレ市にルヴァロワ光学精機社(Optique et Precision de Levallois
)が設立された。創立者はアルマン・ドゥ・グラモンという貴族で、後に公爵となる。 当初画家を目指したとされるArmand だが、次第に興味は科学に向き始め、1907 年28 歳の時にパリ郊外ルヴァロアにある所有地の庭に空力研究の施設を設立。わずか4 人のスタッフでスタートした研究所は、後のO.P.L. への小さな第一歩を踏み出すこととなった。 第一次世界大戦中、彼の研究所は測距儀、航空カメラ、空力実験設備の改良などで軍および国家に貢献したが、終戦直後の1919 年に設立されたO.P.L. では第二次大戦に向けてさらに軍関係の比重が増加し、従業員数も大戦前に1000 人を超え急速に企業規模を増大させていった。初期の代表的な製品には、LaMitrailleuse ミトレユーズと呼ばれる航空機機銃訓練用写真機が上げられるが、希少性と流線形の美しい形状方極めて希少なコレクターアイテムとなっている。一方、最も同社を有名にしたのは光像式照準器であろう、「OPL」はその代名詞となっている。ただ、フランスがドイツに占領されていた1940-45 年の間では(強制的に)ドイツ軍の軍用装備品を供給している。戦後は35mm 判カメラのほかに、電子顕微鏡、眼底カメラ、胃カメラなどを製造した。 Armand は1940 年以前から小型フオーマットの写真システムを構築する考えを持っておりカメラの設計は1938 年には終了していたが、戦争で中断を余儀なくされた。しかしドイツ軍占領下でも密かに研究・試作を行っていたようで、1942 年にはプロトタイプが完成、そして戦争終了直後の1945 年にはすでにスクリューマウント(36mm)のFOCA PF2 発売の準備は整っていたのだった。

第二次世界大戦が終了し、1945年に後半に、O.P.L.社はカメラとしては初めて、フォカ2スター(PF2)を発表・発売した。
しかしFOCA の生産開始からわずか10 年。多くの新しい特許に守られたライカM3 の発売はFOCA の競争力に大きなインパクトを与え、さらに低価格で高性能の日本製カメラの輸出拡大が追い打ちをかける。 1962 年創業者のArmand が会社を去り、翌1963年にはLumiere 社と提携し販売を委託。さらに1964年12 月にとうとうF O C A の生産終了と、S.O.M.Berthio 社との合併が発表され、新たにSOPEM(Societed'Optique, Precision, Electronique et Mecanique = 後のSOPELEM) という総合光学企業に変貌。現在はSAFRANElectronic and Defence という軍需主体の企業グループの中でSAGEM という企業となり、活動を続けている。


OPLAR 2.8cm f6.3はFOCAの最も画角の大きい広角レンズで、1949年ごろに4枚構成で試作されたが、販売されたのは1953年でレンズ構成も2群6枚の対称型構成となった。生産台数は定かではないが、スクリューマウント用が300本、バヨネットマウント用が500本程度と考えられ、非常に少数である。

描写は正直驚くほど端正であった。小型軽量の外観からは想像できないほどである。


  Photos with Oplar 2.8cm f6.3
 
2021
Yanaka
(谷中)

日暮里舎人ライナーを使って日暮里で降り、谷中エリアを撮影しました。当日は真夏とは思えないスカッとした真っ青な空が広がる気持ち良い気候で、開放f値が6.3と暗いレンズを使うにはうってつけ。ほとんど手ブレすることもなく撮影できました。

谷中にはまだまだ古民家が残されていますが、それでも徐々に建て替えが進んでいます。勝手に「谷中の九龍城」と呼んでいるビルも周辺の長屋から取り壊しが始まるようです。

鶯谷駅方面にある浄明院はたくさんの石仏が並ぶことで知られています。こちらもオールドレンズの描写を試すためによく立ち寄りますが、Oplarレンズは周辺部まで歪みのない奥行き感のある描写を見せてくれました。